マリE
この原稿の依頼があった時、先月号の杉浦さんの文章にも上げられていた唐沢鉱泉と高天原温泉が真っ先に頭に浮かんだ。
【唐沢鉱泉】
19年前の6月、会員6名と八ヶ岳連峰の赤岳(2,899m)を目指した。あいにく激しい入梅雨に合い登頂は断念し、散策しながら唐沢鉱泉に向かった。唐沢鉱泉は武田信玄の隠し湯といわれている「幻の温泉」であり標高1.870mに位置する。天狗岳の登山口として知られるこの鉱泉宿は俳優の滝田栄がお気に入りでよく訪れていたそうだ。静寂、素朴、清潔、温和な雰囲気。そして酢酸を含んだ硫黄泉は肌にとても柔らかく、年期のある檜風呂でいつまでもおしゃべりをして長風呂した記憶がある。
庭先で初めて「黒百合」を見たし「猪鍋」を食べたのも初めて。また、たくさんの山の恵みが果実酒としてズラリと並んでおり食前酒として美味しく頂いた。私にとって初めての個人山行で山仲間の素晴らしさを知ったところだ。そして、もう少し年を重ねてぜひとも再訪したいと心に温めている懐かしい温泉である。
【高天原温泉】
・どんなに頑張っても1日ではたどり着けない“秘湯中の秘湯”
・歩いて来た者のみが浸れる標高約2,100mにある“究極の秘湯”
・2日間は山の中を歩かないと辿り着けない“日本一行きにくい温泉”
・とにかく歩いてしか行けない通称“日本一遠い温泉”
・北アルプスの最深部にある“下界から丸二日かかる魅惑の山湯”
・あらゆる交通手段を駆使しても片道1泊2日歩かねばならない“温泉マニア垂涎の秘湯”
高天原温泉を検索すると上記のごとく似通った表現がわんさかと出てくる。その温泉に、一昨年の8月下旬、5名で3泊4日の小屋泊まりで行くことができた。4日間とも秋雨前線停滞で生憎の雨天であったが、高天原温泉は今までの中で一番最高の温泉となった。
半田を早朝に出かけて温泉に着いたのは翌日の午後2時過ぎだった。途中、太郎平小屋に一泊。雨の中をつり橋や木道を渡り、断崖をへつり大岩を直登し幾つもの沢を徒渉。根っこを掴みながら胸突き八丁の急登であえぎ、眼下に見える崖道の梯子にすくみ、川原の石や沢の流れと格闘しながら登っては下り、また登り奥へ奥へとひたすら歩き続けた。雨に負けないほどの汗にうだりながら1日半かかってやっと高天原山荘にたどり着いた。そこは、霧雨にかすんでいたせいか仙人の住むような神聖な静粛さで幻想的な世界であった。
温泉はさらに狭い山道を下る事20分。川原の岸壁にある女湯は6畳くらいの広さ。乳白色の肌にやさしい柔硫黄泉は適温で、何時までも入っていたくなるようなほんのりした最高の気分で疲れも吹っ飛んだ。ここまで来れたと言う満足感もあるだろうが、雨でも風でもいくら遠くても来るだけの価値があると思った。まさに「秘湯中の秘湯」という言葉がぴったりだ。天然のブルーベリーをほお張りながらの帰り道もまた至福の30分となった。
高天原温泉がこんなにも人を魅了する所以は、泉質の良さにもあるだろうが結局のところここに辿り着くまでの行程にあるのだろうと思う。私は、一緒に来た仲間や自然の厳しさ美しさと一体になれた自分が嬉しくて仕方なかった。