第34回記念登山荷上げ山行
鈴鹿 入道ヶ岳 (905m)
<山行日>2015年10月31日(土)〜11月1日(日)
<天候>晴れ
<目的>記念登山荷上げ
<ルート>
椿大社P→井戸谷→入道ヶ岳 ピストン
<メンバー>
L:一則O SL:三郎O 洞井孝雄 板津彰伸 聖子S 征季W
医療:裕幸T 記録:晋平Y
山頂要員:伯明S 考枝T
<記録>
10月31日(土)
17:15 会事務所集合、パッキング
17:40 会事務所 出発
19:25 椿大社P 到着
19:35 準備後 出発
20:20 休憩
21:05 休憩
21:25 山頂到着後テント設営
21:35 テント設営完了
23:00 就寝
111月 1日(日)
5:30 起床
5:55 テント撤収開始
6:05 テント撤収完了、1張り移動
6:10 下山開始
6:40 衣類調整
7:10 椿大社P 到着 各々朝食を摂り、待機
8:25 バス到着
(記録:晋平Y)
すばらしかった夜景
一則O
入道記念登山の前夜荷上げ隊に参加したが、おそらく16〜7年ぶりだろう。その当時、荷揚げ要員が足りなくて、ある若手と前夜に2回荷上げしたことがあった。記念登山本番まで入れると入道を3往復したことになる。そんな思い出のある荷揚げ隊である。
今回、洞井さんや板津さんというベテランがいる中、PLを仰せつかった。雨だったらどうしよう、山頂で強風だったらどうしようか、ちゃんと的確に判断できるかどうかなどいろいろプレッシャーを感じたが、みんなの協力をあおげば何とかなるだろうというところに考えが落ち着いた。
椿キャンプ場奥の駐車場へ止めて、ラテを点けての夜間登山。19時半頃に出発をして途中1回の休憩で、山頂21時20分着。テント設営完了が21時35分。風はあるものの雨は降らず、テントも問題なく張れたし、すばらしい夜景や月齢18の月も観られて、何か得した気分で事前に考えていたことが杞憂だったことに気づいた。
テントの中では、T木さんお手製のハロウィン版キッシュ何とかというおいしい料理?と他の会員からの差し入れアルコールを少々いただいて、しばらく歓談。明朝6時半出発を確認して、11時前に就寝。
翌日の本番はきれいな朝焼けではじまった。6時半出発予定だったが、みんな出発できそうだったので、早目の6時12分に発つこととした。
下山途中、昨年の事故現場を確認して、事故のないよう慎重に下山し、7時10分頃には椿大社の駐車場に到着。各自朝食をとったり、身支度をしたりのフリーとして、本体が来るのを待った。8時25分頃本体のバスが到着し、合流。本番を迎えた。
軽すぎる入道岳荷揚げ・・
板津彰伸
入道岳の前夜泊の荷揚げは10名が参加。水2L、テントマット、無線、ブス板、差し入れの酒、お菓子だけが私の担当であった。他の人達と比較するとあまりにも軽すぎる。10回ほど荷揚げしているがこんなに軽い荷揚げは経験したことが無い。
年齢や体力を考えての配慮に感謝する一方で、これからの荷揚げはもっと体力のあるメンバーや新人会員の教育も兼ねての荷揚げであって欲しいと思う。
登山道は整備され風も無く夜景を楽しみながらあっさりと山頂に到着した。山頂では風も冷たくて強かった。テントを張る時は、手がかじかんだ。テント張りは意気の揃った掛け声もありメンバーで早く張れた。テント内では酒を飲んですぐに就寝する。
日の出前の薄暗い四日市の景色は、今まで見た以上に美しかった。楽しい入道記念登山であって欲しいと願う。
征季W
前夜発の特権は歩荷トレーニングがもれなくできることです。自分がどのくらいまで荷揚げを出来るか、毎年試すことができます。去年よりも今年の方が楽に荷揚げ出来たとか早く歩けたとか。いろんなことを感じさせます。そして、夜景と星。翌朝には日の出も見ることができ、特権が多いです。来年までにもっと力をつけ頭も使えるようになりたいです。もっと努力せねば、いけないことばかり・・。
初めて
聖子S
会に入会して、欠かさず行っているのが、この入道の荷揚げです。今回で4回目。今まで、お天気は良くても、ガスっていたり、雨だったりで、四日市の夜景と星空を楽しめたことが一度もありませんでした。しかし、今回は、初めての快晴!!先頭のペース配分もよく、どんどん進みます。笹原に出てからは、振り返りつつ、四日市の夜景と夜空と月のコラボレーションを楽しみつつ、あっという間に山頂へ。流石に、山頂は、毎年恒例、風が強かったですが・・・テントを設営して、持参のお酒とおつまみと差し入れのお酒と、後は、T木さんお手製のパイで一息。4回目にして、とても素敵な荷揚げとなりました。最後に、食材の準備をして頂き、お見送りをして頂いた皆さん。本当、有難うございました。
ご褒美?
裕幸T
今年の荷揚げは天候にも恵まれ(山頂は風があり、冬の訪れを感じましたが…)、無事任務を終えることが出来ました。樹林帯を抜け頂上に近づく頃から、夜景が綺麗に見え、すっきり晴れた夜空には月も出番を控えていて、無数の星が輝いていました。夜吹いていた風も朝には止み、遠くの山並みのシルエットがクッキリ見える中、きれいな朝焼け、そして日の出と…、前夜山頂に登り一夜を明かしたメンバーを歓迎してくれているようでした。たまにあるこんなご褒美がうれしいですね。
夜の闇の深さ
孝枝T
山小屋バイトの黒部渓谷から10/28に戻り、10/31の夜行登山となりました。
約40日ほど山奥に滞在したので、山の夜の暗さがすっかり慣れてしまっていました。いくら山の夜の暗さになじんだ生活をしたとしても、闇の山中を行動をするというのは別の怖さだなと、今回の夜間登山で実感しました。
昨年も荷揚げ隊に参加していましたので道は知っています。沢のある方向や片側が切れた場所はある程度理解していたつもりでした。しかしながら夜間における視野の狭さ、距離感のつかめなさ、方向感覚のずれに、夜間行動がいかに人間にとって不利な事なのかが改めてわかりました。
入道山頂からみえる伊勢湾の夜景のきれいな光、人間の活動する光と山の静かな深い闇が対照的な夜の登山でした。
歩荷と夜間山行
晋平Y
「もっとゆっくりでいい!」
一本目の休憩をしてから先頭歩きました。自分では“ゆっくり、ゆっくり”と密かに声に出しながら歩いていましたが背中の荷物と暗い登山道。早く山頂に着きたい気持ちがあるのか、どうなのか。後ろを歩くSLからペース配分について指導を受けました。
入道ヶ岳には過去北尾根ルートから登り二本松尾根ルートへ下山したことが一度ありましたが記念登山のルートからは上がったことがなく、しかも夜間。
地図や下見の写真等を頭に入れて当日を迎えました。ラテの灯せる距離には限界があり10m先を照らし、進むべきルートを確認してから足元を照らす。何の変哲もない樹の枝に「ギョ」っとしたりと変な汗を滲ませて、一歩ずつ背中の食材の重量を感じながら入道ヶ岳の山頂を目指しました。
翌朝は朝焼けがとても美しく、暫し見惚れてしまう状況でテント撤収し、1張りは山頂鳥居付近に移動。下山開始。
歩荷というほどの重量ではないにしろ、背負っているモノの価値と豚汁への皆さんの期待が肩と腰にくる、ある意味とての重さを感じる山行となりました、また夜間に行動すると言う貴重な経験できました。ありがとうございました。
夜景も朝の景色も久しぶり
洞井孝雄
会の事務所に行くと、もうすでに全員が揃っていて、荷揚げの荷物分けが済んだあとだった。実行委員長をはじめ資材を準備してくれた仲間たちからの見送りを受けて出発。椿大神社の脇の林道を奥まで車で登って、足下を固め、ラテルネの光で歩き始めた。
頂上直下のアセビの群落を抜けて、ササ原に出ると、足下に四日市、伊勢湾の夜景が広がった。月も雲の間から姿を現した。夜景の光が瞬いていないのは、天候が安定している証拠だろう。昨年は荷揚げには参加しなかったし、一昨年は、新品のヘッドランプが壊れたのか、電池切れか、と錯覚するほど濃い闇が広がっていたので、入道ケ岳からの夜景を見るのは三年ぶりだろうか。
少し、風があるがそれほど寒いというわけでもない。北の頭からの登山道と合流すると平坦な道をたどって山頂部に出る。アセビの林の下に設営ポイントを決めて、二張りテントを張った。
かつては、こうして荷揚げをしたメンバーが一つのテントにぎゅうぎゅう詰めで集まりしばらくミーティングをしてからそれぞれのテントで就寝にしたのだったが、今ではそれもやらなくなって久しい。そのことを知っているメンバーがいなくなったか、いても、そのことに大した意味を感じられなくなっているか、「狭いんじゃないですか」ほどの認識になってしまっているのだろう。
時の流れというものなのかもしれない。
夜半は風が強く吹いた。幸い、フライシートが飛ぶこともなく、朝を迎えた。薄暗い足下に夜景が広がり、その上に明け始めた空が金色に染まっている。
早々に、テントを一張り、山頂部の平らな部分に移動し、固定する。このテントにメンバーのうちの山頂要員が残り、今日の記念登山の参加者にサービスする豚汁を作ってくれることになっている。
残りのテントを畳み、山頂要員のメンバーの荷物を含めて、これから下るメンバーが担ぎ下ろす。予定より早い時間だが、全員が揃ったので、昨夜登ってきた井戸谷を下り始める。山頂部からのササ原の急登はよく乾いていて、砂礫を抑え込むように踏まないと靴の裏で石車が回転して滑って転ぶ原因になる。そういえば、記念登山が始まってからしばらくは井戸谷道を往復していたのを、樹林帯までのこの下りが悪い、ということで、下降路を二本松尾根にかえたのだった。
やがて樹林の中の下り、井戸谷をまたいで、避難小屋、さらに樹下のジグザグから山腹を巻いて再び井戸谷を右岸に渡り、植林帯を下ると登山口である。椿大神社までは車で数分、これで、荷揚げ隊の役割は終わった。
あとは本隊の到着を待つばかりである。