やぶにらみマウンテニアリング・ミニマム   329

Yabunirami-Mountaineering-Minimum

「レベルアップ」を考える

洞 井 孝 雄


                                   

レベルアップ=スキルアップ??

 春山合宿が終わった。

 いつも合宿の取り組みが始まるときには、

その「意義と目的」を討論するところからスタートするのだが、必ずといっていいほど、メンバーの口から「レベルアップ」という言葉が出てくる。辞書を引くと、「Level」というのは「水準」という意味があるが、「水準を上げる」というのは「It raises the bar.」、「レベルアップ」というのは「Improvement(改良)」という単語で表現されるらしい。まあ、感じとしてはわからなくもない。たぶん、みんなは「水準」を上げるという意味で使っているのだろう。

 問題は、それが「何の」水準なのか、ということだが、ほとんどが、「山行の力量」という意味で、しかも、個人のそれ、を指しているような気がする。

 では、「山行の力量」というのはいったい何なのだろう? 山の難易度に比して、そこに登れる力か、あるルートを通過できる技術か、ある地点を突破できる能力か・・・、いろいろ考えられるのだけれど、気温も、雪も雨も風も、標高も、地形も天候も考えに入れずに、ただ単に、「あるところを行動できる」力(それは、確実に体重移動ができるとか、滑りそうなところを滑らずに動けるとか、落ちそうな所で落ちないバランスを保持できるとか、確保が確実にできるとか、さまざまな能力や技のことをさすことになろうが)だというのであれば、簡単に客観化して説明できる(クライミングジムで、11とか12を登る、といった登攀力のグレードを云々するのに似ている)だろうし、その能力は、トレーニングによって勝ち取ることができる。「山行の力量」というのは、山に行く、山登りをするための、個々の体力や行動能力、スキルであって、山に入ってから下山してくるまでの一部始終を、そうした身体を動かすことも含めてコントロールする「登山の力量」の前提となる一部分でしかない。

 

「山行力量」と「登山力量」

しかし、「登山(ジムでのクライミングは、クライミングではあっても登山ではない)での力量」というのは、極端な言い方をすれば、ある日ある時のこのポイントを通過できる技術を身につけたからといって、別の日、別の時に同じポイントを通過できるとは限らないところに、ややこしさがある。「山行の力量のレベルアップ」というのは、そうした諸条件を脇に置いておいて、あるポイントをクリアできるようになったら、おおよそ、こんなところへは(そのクリアした課題と同等もしくは以下の課題が横たわっていると客観的に評価が定まっていることが前提だが)行っても大丈夫だろう、というようなスキルの問題だろう。それだけで、条件も状況も異なる山域へ行くことに「大丈夫だ」と太鼓判を押すことはむつかしい。

いわば無風快晴常温の状態における「この部分」の通過はクリアできるが、「こういう条件下のこの部分」は、となると、行けるかどうか、さまざまな見方が出てくるのだが、その「見方」も含めて手が打てるかどうか、が「登山の力量」ということになる。

天候、気温、パーティー構成、装備、行程、山域のコンディション・・・などを総合的につかんで、行くか、戻るか、何らかの工作をして行くか、しなくても行けるか、をまず判断する。「行く」ということになれば、その場で考えられる最良の「この部分の通過方法」を選び出し、さらにその先に続く部分が、現状よりもシビアになった場合に選択すべき方法を考えておく。実際にその場になったときには、如何に速やかに次の行動に移ることができるか、が求められる。

 そのようなプロセスを繰り返しつつ、「安全に登って、確実に下山してくる」ことができる力を「登山の力量」というのではあるまいか、と考えている。

 残雪期の合宿の「行動」に求めらるのは、アイゼン・ワーク、ピッケル・ワーク、ロープ・ワーク、幕営技術、生活技術、そうしたひとつひとつのスキルを身につけていることだ。しかし、合宿の「行程全体」で求められるのは、そうしたスキルを「使いこなす」技術と、スキルをどんな形で「総動員」しながら計画を進めていくか、という判断(どういう視点で判断を下すか、が大切だろう)や経験(行ってきた、という経験ではない)などを含めた「知恵」とでもいうべきものだと思っている。このことを、メンバーひとりひとりが、共通の体験をとおして共有し、蓄積し、次からの山行の中で活用できていくことになれば、それは、会の中で、一定部分の「核」となり、会全体の登山力量の「底上げ」にもつながっていくと思っている。

 

南稜と真教寺尾根

 何度目かのメンバーにとっても、初めてのメンバーにとっても、阿弥陀岳南稜はすでに過去のバリエーション・ルートで、一般ルートに毛のはえたような存在になってしまっているようだ。雪がなければ立場山の直下まで、右手はマツタケ山で、ネットと「入山禁止」「罰金○○円」の看板が続く、なんということもない山道だし、青ナギを超えて、阿弥陀山頂直下のルンゼの登りすら、雪が詰まっていたり、岩がむき出しになっていたり、凍っていたりすることがあっても、誰かがロープを伸ばして固定すれば、誰もが登ってしまうことができるようになってしまった。そういう意味では、「かつてバリエーション・ルートと呼ばれた一般ルート」になってしまっているのかも知れない。技術も、装備も進歩し、情報量もかつてとは違って圧倒的に多いいまでは、好天と条件に恵まれれば、一日で抜けてしまえるようなルートだけれど、かつての私たちにとってはそうではなかった。

 もう30年も前の冬、夏に予定していたヨーロッパ・アルプスのトレーニングの一環で阿弥陀岳南稜を計画したときのことだ。前夜、美濃戸口で予約したタクシーで木々も道も雪で覆われた暗い細い道を旭小屋の手前まで入って仮眠、翌朝、その裏手から南稜にとりついたのだったが、小屋で出発準備をしている間、メンバーは誰ひとり口を開かず、押し黙ったまま、ヤッケを着、アイゼンをつけ、ザックをパッキングした、あの重苦しい時間を思いだす。メンバー全員が初見参で、文献だけを頼りに、ルートを調べ、手探りでバリエーションをやろうという意気込みと不安が、この時間に集約されていたのだと思う。

結果的には、なんということもなく(体力、気力ともにフル充電されていたのだ、その当時は、ね)、午後には山頂直下のP3のルンゼを登っていた。その前後から雪が舞い始め、吹きさらしの中で、それほど雪と岩のミックスを登る技術に長けていないメンバーたちを、1時間あまりも肩がらみで確保したりしたことなどは、いまは遠い遠い昔の話だが、事前の準備段階から本番、そしてそれを遠征につなげる流れの中で、当時は間違いなく「バリエーション登攀」だった、と思う。それが、なんということもなく、「みんなで行けば…」式に登れてしまういま、こうした体験をすることは望むべくもないなあ、というのが実感である。

しかし、一つ一つの場面で、どのように安全を確保しながらルートを伸ばし、どんな登り方をするか、どんな通過のさせ方をするか、登り終えて、どのように次の行動に移るか、

こうした一連の動きを自分の中でどう消化するか、ということを考えながら体験していくことはできるだろう。その体験こそは、まぎれもなく、今回の合宿の目的の中に掲げられている「登山力量の底上げ」の中の大きな位置を占めている。

 「助けがあれば通過できる(あるいは、できた)」というのと、「助けになる(をつくる)」というのとでは全く違う。多くは前者であるが、それが後者へと変わっていくことで、「登山力量(「山行力量」ではなく)の底上げ」の本当の意味での達成(とまではいかなくても)に近づくことになる。

今年の合宿のコースを阿弥陀岳南稜を登って、真教寺尾根を下降路として設定したのは、メンバーの顔ぶれ、メンバーの日程の問題から、途中でパーティーを割る必要があったこと、別れたパーティーそれぞれが行動できる圏内はどこか、という課題から出発しているが、低下した南稜の困難さと、冬の登攀の困難さに比して、いくぶん困難は軽減されると考えられるだろう真教寺尾根の残雪期の下降をセットにしながら、前述のような「登山力量の底上げ」が可能になれば、という思いがあったからである。

真教寺尾根は、無雪期は一般ルートとされているが、冬季には登下降ともに、かなり困難なバリエーション・ルートとなり得る。残雪期であっても条件次第では難しい下降になるだろうし、ひょっとすれば下る前に引き返さざるをえない状況もあり得ることを想定しつつも、メンバーの意識のありようもまた変わるのではないか、との期待もあった。

出発直前の現地情報では、「積雪は例年並み。真教寺尾根の状況は、今年(今の時期に)まだ通っていないので不明。残雪の量によっては雪崩の恐れもある」ということで、下降するかどうかは、現地で見たうえで判断することとした。実際には、山頂から真教寺尾根分岐までの通過と、分岐から1ピッチの雪面でロープを固定したが、それ以後の森林限界までの岩稜部の上部はロープを張らないで下ることができた。ところどころ雪の中から顔を出している鎖と左右の岩をホールドにしつつ、一歩一歩雪にアイゼンを蹴りこんでの下り、下部は雪の中から顔を出している岩角にアイゼンを確実に置くことに神経を集中しながらの下りとなったが、露出した鎖を支点にロープを固定して、そのことにかかる時間的や、不安定な姿勢で命綱をかけかえる作業などの負担を考えると、足場もしくは岩角や鎖などのハンドホールドが安定的に求められる条件があったのはありがたかった。

 総体としては、阿弥陀の山頂直下付近、赤岳の山頂直下、真教寺尾根の分岐への下降、真教寺尾根そのものの下降の中で、それぞれ9人と7人のパーティーの中で、複数のメンバーが、不十分ながらロープを伸ばし、固定し、確保し、声をかけ、それぞれに「助けになろう」という動きをした。「いま、何が求められているか」「いま、何をどうすればいいか」を即座に理解し、そして、そのことがすぐに“行動“や”かたち”になるまでには、まだまだ時間がかかりそうだが、みんなでそのルートを登り、下った、という点では、共通の体験をした。無事に当初の計画を消化して帰って来ることで、メンバーの多くが、そのことについては達成感や充足感を味わったことだろうが、それだけで終わらせてもらいたくはない。同じところを、「通れた」「通った」というのと、「(何事もなく)通過した」「通過させた」というのと、技術的にどうか、といえば、それほど大きな差があるわけではないが、かたちは同じでも、主体的力量としての違いは大きいのだ、と言っておこう。

 

おわりに

多くのひとがよく「レベルアップ」を口にする。ひとつひとつの「山行のスキル」に習熟するのは、それほど難しいことではない。たとえば、「雪と氷のミックスの岩稜帯が続くところを行動するので、アイゼンで歩く練習を」すれば、アイゼンをはいて行動する技術は上手になれる(と思う)。しかし、その岩稜帯の気象、気温、積雪、氷、風、傾斜、地形、さまざまな状況によって、歩き方も行動も、それ以外にロープ・ワークも防寒・防風の防御技術も、進退の判断も異なるのだが、このことはアイゼンで歩く練習では学べない。総合的な「登山のスキル」として、日常的に、あるいは機会をつかまえて体験し、身につけ、蓄積していくことだ。

わが会の仲間たちがめざすべきなのは、スキルに矮小化したレベルアップではなく、「登山の力量」のレベルアップだと思う。

 

(2010年5月26日発行『もみのき』bR40より)