第1章

 

野山に出る前に

 

 

@「どこの山へ登りたい?」

 

 どこの山に登りたいか、山をはじめたひとに希望を聞いてみると、

「どこでもいい」とか、

「どんな山があるか知らないから」とか、消極的な答えが返ってくることがあります。

「どこでも」というのは、自分の力量の評価も、好みも、みんな他人任せということですし、「知らない」というのは、山に登りたいと思っているわりに、それほど登りたいと思っていないんじゃないの、という感じもします。本屋の店先でちょっとガイドブックをめくってみれば、どこにどんな山があるか、は知ることができます。ネットで「山」という言葉を打ち込むだけでも、どどっと情報が出てきます。また、それぞれにいろいろなことをやりたいと思っているはず。縦走でも、ハイキングでも、岩登りでも沢登りでも、どんなジャンルでもいいし、はっきりした対象でなくても、雑誌のグラビアや画面上からでも「こんなところへ行けたら…」と思うだけでもいいのです。それを目標に、今登ることのできる山を、どんどん登ることにしましょう。そのために何をしていく必要があるかを考え、実際に足を動かしながら、ひとつずつ着実に登りつめるつもりでスタートしましょう。要求や目標を決め、それを実現させるんだ、という気持ちでトレーニングしたり、知識や技術を身につけていけば、苦労をヘとも思わないでしょうし、目指す山がぐーんと近くなることでしょう。せっかく始めた山、長続きさせて、もっともっと夢ふくらませたいものですネ。

 そのためには、まず、山のことを知る必要があります。

 

 

Aガイドブックの選び方

 

●ガイドブックが先生

 

「まず、山のことを知る? でも、どうやって?」

 いつも近くに手とり足とり教えてくれる人がいるとは限りません。となったら、まず本屋さんへ行ってみましょう。たいていの本屋さんには「実用」とか「アウトドア」とかいったコーナーがあります。もっと具体的に「登山」とか「旅行・地図」とかいった分類がされているところもあります。いろいろと目移りしますが、迷わず、ガイドブックの並ぶ

前に立って、『北アルプス』とか『南アルプス』とか『上高地・槍・穂高』とかいった日本アルプスのどこかの、気に入ったヤツを一冊と、自分の住んでいる場所に近い山域のガイドブックを一冊さがして買ってください。

ネットでも必要な情報を探すことはできないわけではありませんが、やはりひとつの山域について行きつ戻りつ、いつでも手元に置いて、眺めることができるという点ではガイドブックに軍配が上がります。さて、これで、あなたの「先生」ができました。

 

●ガイドブックは情報の宝庫

 

 ガイドブックを開くと、まず、カラー写真が目に入ります。その美しさはどうでしょう?その本の中の景色は、いま私たちが住んでいるところから、ほとんど日帰りのできる距離にあるのですゾ!

 次にトビラがあり、そこにはガイドブックの利用の仕方と、地図の記号の索引が載っています。登山コースの見方、日程の算出基礎、各コースのグレード(難易度)づけなどについての説明をまず読んでください。特に登山コースのグレードについては、メンバーによってそのコースを選んでよいかどうかの目安になったり、自分自身の山登りの上達の目安にすることができるので参考になります。

 続いて目次です。この山域はこんなに広いのか、こんなにたくさんの山があるのか、と、いまさらながら身近にすばらしい山があることへの驚きと同時に、いつか、すべてのコースに自分の足跡を、なんていう夢もふくらんでくるかも知れません。“○○へのいざない”“××のあらまし”などに目を移せば、もう、その山域のとりこになっている自分に気づくかも。さらに、本文中のところどころにある囲み記事は、その登山コースそれぞれの歴史や、有名な地形、植物、その他さまざまなことがらについて、興味深い話題と知識を提供してくれます。これらに目を通すだけでも、きっと今まで「知らないから」と答えていた自分と違う自分を見出すでしょう。

 

●頭と体でガイドブックを確かめよう

 

 これまでに、近郊の山へ連れて行ってもらったり、それがどんなコースだったのか予備知識を持たないで歩いたことのあるひとは、ちょっとそのコースのページを開いてみましょう。そのコースの難易度はどれくらいだったのでしょうか? 時間はどれくらいかかったのでしょうか? 周囲の景色はどうだったでしょうか? きっと、予備知識のあるのとないのとでは、同じところを登っても、ずいぶんと違いがあることに気づくはずです。

 登る山の予備知識を頭に入れておいて、自分の足でその予備知識を確かめたり、イメージと実際のズレを訂正したりすることで、自分の知識や、山域に対する把握が確実なものになります。また、帰ってきたら、自分の歩いたところを必ず振り返ってみること。記録をつけることは、この点からも大切です。ガイドブックと、他のひとの記録があればそれも一緒に、同じルートをどんなふうに表現しているか、自分の踏み跡と比較してみてください。地形、コース、タイム、条件(気象、体調、荷物の重さ、パーティー編成……)等の違いも含めて見直してみると、きっと自信を持ったり、今度こそ!(落ち込まないで発奮しましょう)と、次の山行への意欲が湧いてくるはずです。

 

●ガイドブックを使いこなすうえで

 

 ガイドブックとは直接関係がありませんが、ガイドブックを使いこなすための要件として、蛇足ながら二点ほど…。

 

1)自分の体力はどうか?

 

 不足していると思ったら、とにかく体を動かすことから始めてみましょう。走ったり、体操したり……。

 仲間と山に登って、山頂に立ったときは息も絶え絶え。景色を見る余裕もなくゼーゼー、ハーハー。やっと呼吸が整って、「さて、景色でも」と思ったら、「行くぞぉ」なんて下山の声がかかったりして。こんな経験、ありませんか? 体力がなければ、どんなにすばらしいところへ行っても、感動したり、楽しんだりする余裕もなくて苦しいばっかり。記録なんてとてもとれません。基本は体力ですョ。

 

2)ちょっとした工夫・技術を盗む

 

 一緒に登った仲間や、他の登山者を注意して見るようにしましょう。ひとが長い時間をかけて学んだことや考えたことを短時間のうちに自分の血s機に書き加えてしまう、そして、実際にやってみて、自分のものにしてしまう、こんな積極性を持ちましょう。

 ところで、私が山で何かひとつやってみせると、

「あっ、知ってる知ってる。○○に載ってたでしょう?」

なんて言うひとがいます。そのときの私の腹の中は、

「知っとるのと、やっとるのとは違うわい。実際にやれてないことを知っとるとは言わんのじゃ!」

 ともあれ、あらゆるものを吸収して消化してしまう貪欲さは欠かせません。

  最近は、有名な山から地方のほとんど名を知られていない山の情報まで、インターネットで引っ張り出すことができるが、ほとんどが細切れの情報であり、ガイドブックのように、ひとつの山域の地勢、歴史、コース、地図など、山登りに必要な情報を網羅してはいない。ただ、書き手にもよるが、最新のアプローチ情報や、登山道の情報、周辺の耳より情報などをていねいに伝えてくれる内容もあるので、上手に使えば、より安全な登山に結び付けることができるかもしれない。参考としてのコース・タイ

ムは、ガイドブックであれば、普通の成人男性が、日帰り程度の軽い荷を背負って歩くのに必要なごく平均的な時間(休憩含まず)として記されているが、ネット上のそれは、個人が自分の物差しで歩いたり登ったりしたコース・タイム、そして難易度なので、それを鵜呑みにすることは避けたい。記録は、ある年のある季節のある日、その人の、そのときの年齢、体力、そしてそのときの体調をもって、そのコースを登ったということであることを忘れないこと。共通のベースがないことに注意したい。

 



B地図を買おう

●粗略に扱われる地図

 つい先日のことです。職場で、

「ホライさん、新聞見とったら、ようけ(たくさん)事故起こっとるねえ。あれ見たらずいぶん考えるところがあったわ。この前なんか、子ども連れて鈴鹿へ行ったんだけど、気がついたら車ん中に地図忘れてきてまってねぇ……」

「そりゃあ、もう論外だわ。これからは、ちゃんと地図持って、ぼくんとこへ計画書出してから行ってもらえんかなぁ」

などと、笑いながら話していたのですが、最も基本的なモノでありながら、知識がなかったり、少し慣れてくると粗略に扱われるのがこれ、つまり地図です。登山者がよく入る山では、標識や道の整備が比較的キチンとされているので、それに頼ってついついおろそかにされがちな地図ですが、ガスに巻かれたり、吹雪かれたりすれば、これほど心強い味方もありません(磁石も忘れないように! 地図と磁石でワンセットです)。

 前項でガイドブックを買いました。そのところどころには見開きの地図が載っています。登りたい、と思う山域の説明を読みながら、納得するのには便利なのでsが、その山がいったいどんな地形の中に位置し、どんな大きさなのか等、全体の関連の中で山を見ることはちょっと難しいですね。大きな地図のところどころを切り取って、窓の中にはめ込んだようなものです。そこからは山域の全体像はつかみにくいし、夢や広がりを感じることはなかなか……。それに山へ持っていくわけにも(持っていくヤツもいることはいるんですが……)。やっぱり、地図も買いましょう。

        

●山で地図を読むということは?

 

 毎年1000件を超える山岳遭難の3分の1を占めるのが、道迷いを原因とするものだといわれます。直接的な道迷いによるもの、道迷いがもとで、ケガや死亡につながる事故は少なくありません。道に迷ったり、迷いそうになったとき、地図を持っていれば対応ができます。持っていればいい、ってもんじゃないのですが、「読み方や使い方を知らないから持って行っても仕方がない」っていうひとも本末転倒、そういうひとたちは、読み方を覚えて、それから山にはいってください。

 山で地図を読む目的は、@行き先の様子を知ること(眺望はどうか、どんな道なのか、険しいのか、なだらかなのか、など)、A目的地に間違いなくたどりつくこと(事前にルートを検討し、距離や時間を把握する、現在地を把握すべき場所や迷いやすい場所、ルートの高低など移動に必要な情報を読み取る、それら計画・検討したとおりのルートを進むことができるとともに、自分のいる位置が地図上でわかる、こと)です。

 

1)地形図

 

 決められた地域を、ひとつの約束事にしたがって図上に表現したもののことで、地球儀、天気図、道路地図などもみんな地図の一種なのですが、「山の地図」という場合には、かつては国土地理院発行の2万5千分の1や5万分の1の縮尺(地表面での実際の距離と地図上の距離との比率)の地形図が一般的でした。地形を見るのには適していますが、なかなか初心者にはとっつきにくいかもしれません。昨今、さまざまな出版社から、該当する山とその周辺の地域、山道を登るのに参考になる目印や諸注意、コースや参考コース・タイムなど、登山するための情報がつまった「登山地図」が発行されています。それらの地図の基本になっているのが、この国土地理院発行の2万5千分の1地形図です(平成14年4月1日からの測量法改正によって、それまで使われていた「日本測地系」という経緯度の基準が、「世界測地系」という世界共通のものになり、新しい規格の地形図が発行されはじめました)。国土地理院の地形図は、ネットから取り出すことのできるサービスも始まっていて、以前よりは容易に手に入れることができます。拡大縮小も自在なので、地形図のディテールが読みやすかったり、目の悪い人にも見やすくなったり、という利点はありますが、地図の最も基本となる「縮尺」という約束事を忘れそうになりがちです。

「登山地図」などと併用するといいですね。



2)地形図の見方

 

 地形図を買ったら、机の上でまず広げてみましょう。じっと見つめていると、町から山へ、線で示された複雑な文様(等高線や水線、境界線を含んだ、地形図に示されているすべての記号の約束事を「図式」と呼びます)が、くっついたり離れたり、上がったり下がったり、切れ落ちたり、地形が平面でなく、立体感をもって表れてくるような気がしませんか? 



▼等高線(コンターライン)              
地表の同じ高さの点を連続的に連ねた曲線。一本では高さを示すだけだが、
一定の高さごとに描かれた等高線群として地形を表現する。たとえば傾斜は、
等高線の間隔が三つであればあるほど急であることを示し、また、等高線が
山頂から張り出している先端は尾根、くびれているのは谷を表わす。



もしその地図が、一度登ったことのある山の地図だったら、自分の登ったルートをたどってみてください。あの場所は、こんなふうに地図では描かれているのか、あ、この沢は水がなかったはずだ、ここには、あそこの崖が描かれていないぞ、など、いろいろな地形が一枚の地図に線だけでみごとに表現されていることがわかってくることと思います。

 そうは言っても、なかなか・・・というひとは、まず、山に関係する記号や等高線の約束について知ることから始めましょう。

 

 なお、どんなものが表示されるのかをほんの少しだけ紹介しておきます。

●滝  高さ5メートル以上のものが表示される。

●せき・ダム  高さ3メートル以上、図上で1ミリの長さのあるものが表示される。

●万年雪  平年並みの気候状態で、残雪が越年するものをいう。普通は9月の状態で表示される。

 

3)地図を開いてデスク・ハイク、デスク・マウンテニアリング

 

 それでは次に、山に登る機会がくるまで、おもむろに机の上に地図とガイド・ブックを開き、かたわらにコーヒーでも置いて、デスク・ハイク、デスク・マウンテニアリングとでもしゃれこんでみましょう。

○○時出発。○○の登山口から○○山をめざす。林道から、よく踏まれたルートをたどり○○沢の出合で休憩。ここまで○○時間。汗をぬぐって清冽な沢の水を口にふくんだあと、再び急な登山道を……などと、ガイド・ブックの説明を読み、地図上の記号で地形を確かめながらイメージで登っていくワケです。途中で雨が降ったら、天候の急変にあったら、事故のときは? そんな想定でエスケープルートを考えたりすることもやってみるといいでしょう。

 

4)地図の持ち方、使い方

 

 山へ行く時は、地図はザックのポケットに入れてしまわないで、ビニールの袋か何かで濡れない工夫をして、すぐ取り出せるよう、ズボンかシャツのポケットに入れていきましょう。そして、小休止のときなどに、食べたり飲んだりすることだけに集中する時間を少しだけさいて、地図を必ず取り出して眺める習慣をつけましょう。ちょっとやってみます。

 どの地点から登ってきたかはわかってますネ。目的のピークは目の前です。登山口の記されている方を手前に、目標とするピークと地図上のピークとが同じ方向にならぶように身体を回してみましょう。

 相して、目の前のピークとその周辺の山々が、どんな位置に見えるか、それぞれが、地図上の名称と対置しているかどうか確かめてみましょう。

 






対置しているのが確認できたら、その周囲の状況が、地図上にどのように表現されているかを考えてみてください。

 あ、ここはエラく急な尾根になっているなあ。地図の等高線の間がつまっているな。沢を二本越えてきたけれど、これがあの沢だな。ここから伸びている尾根はこれか。そうすると、今いる場所はこのあたりだぞ。などと見当がつくようになるとしめたものです。

 今度は、家へ帰って地図を開き、記録をニラミながら、今日登ったルートを思い返してみてください。登ったルートの傾斜やデコボコ、岩場、沢筋、そんなものが等高線の上に浮かび上がってきませんか?

 まず、地図を持っていくこと、こまめに開くこと、あたり前のことなのですが、なかなかできないんですヨ、コレが。

 

5)コンパス(方位磁石)も必要

 

 地図を買ったついでにコンパス(方位磁石)も買ってください。次から次へと「買うべきモノ」がでてきますが、マ、そこはなんとか……。プレートとリングのついたオリエンテーリング用のコンパスが便利でよろしい。この磁石を買うと、たいてい懇切ていねいな「使用法」がついてきます。それを読んで熟練するのがもっとも手っ取り早いのですが、ここでも少しだけサワリを説明しておきます。

 

☆磁北線と偏差

 地図は、基本的には上部が真北(地理学上で設定された真の北)になっていますが、コンパスの針は、地磁気の影響で真北を指しません。コンパスの針が指す北を磁北、と呼びます。この真北と磁北の差を偏差と呼びます。日本での偏差は、西に5°から10°とのことですが、国土地理院発行の地図の欄外の「記号」のところに“磁針方位は西偏約6°20′”などとそれぞれ表記されています。この偏差を基にして、磁北線を地図にあらかじめ引いておくと便利です。通常ではそれほど影響はないと思いますが、地図と磁石だけを頼りに進む場合や、現在地を特定するためには必要なことです。自分が進む方向は、コンパスの針(磁北)に対してどの角度か、ということなのですから、ズレが出ては困りますネ。地図を買ったら、右端の経線のところに、その角度の磁北線を引きましょう。ついでに4センチメートル間隔(2万5千分の1地形図だと1キロメートル間隔になります)くらいで平行線を書き込んでおくと便利です。

 





6)現在地を知る

 

 さて、自分の現在地を知る方法です。

今、ルートのどのあたりだろう? そんな時には、まずコンパスで地図上の方位を合わせ、次に地図上にある目標物で、かつ、自分の目でもはっきりと確認できる二点を選んでください。その二点を結ぶ線と、地図上の二点を結ぶ線とが交わったルート上の地点が現在地ということになります。

 また、地図上の尾根筋や沢の位置、記号などから、どの位置にいるかという判断をしたり、慣れてくれば、自分の歩いた距離や速度などから、今、自分はどのあたりにいるのかという、およその見当はつくようになります。





でも、もし道に迷ってしまったら?

 

 その時こそ地図とコンパスの本領発揮ということになるわけですが、まず目標物の二つ、地図上にも描かれており、自分の位置からでも確認できるものを探しましょう。コンパスを体の前に真っ直ぐ持ってください。そのうちの一つに向かって身体をまっすぐに向け(磁石のプレートについている矢印を目標物に向けることになります)、次に、リングをまわして、リング内の矢印とコンパスの北を重ねます。この時に、プレートの矢印とリングに刻まれている目盛の数字を読んでください。同じようにして、もうひとつの目標物の目盛も。

 さて、先に磁北線を引いておいた地図の出番です。磁北線とコンパスの示す北とが重なるように地図を正確に置いてください。そして、コンパスのピレートの前の角を地図上の目標物に当て、リングの目盛を先ほどの数字に合わせて、リング内の矢印を磁北線と平行にします。

 磁石の位置を決めたら、プレートの目標物に当てた角から長辺に沿って線を引きます。この延長線上のどこかに自分がいることになるわけです。同じようにして、もうひとつの目標物に対しても、磁石の位置を決めて線を引いてください。この二本の線が交わった点が自分の現在地になります。

 文章だとややこしいのですが、実際にやってみるとそれほどでもありません。


C天気を読もう


●天気図の読み方

天気図で最も基本的なことは、気圧の配置だと考えてください。この気圧の配置で天候

の状況を予測します。一般的には、西から東へ配置が移動しますが、天候を見たい場合、高気圧の中心から東側に、その地域が入っていれば、天候は良いか、おおむね良くなってくると考えてもいいと思います。反対に、その地域が高気圧におおわれていても、中心から西側にあるときは、今は良くても天気は崩れてくる、と考えていいわけです。ただ、偏西風によって、西から東へ移動するとは言っても、いつもいつもそうとは限りませんし、高気圧の後の低気圧の低気圧の大きさや、その後にどんな気圧配置になるかによって、天候の変化は微妙です。移動の速度もマチマチですし、上空にある気団によっても雨か雪か、という天候に与える影響が変わってきます。

 ですから、今、見てきたような天気図の読み方だけでは不十分ですし、現在の気圧配置にいたるまでに、どのような動きを示しているのかをずっと追ってみる必要があります。

 山に入るまで、ロクすっぽ新聞の天気図を見ようともしないで、いきなり山で天気図をとって、さて天気は…、なんてのはイケません。天気図をとるにしても、積み重ねと準備がいるんですゾ。

 

●天気図は“人差し指をペロリ”

 ある年の夏合宿のことです。駅で列車を待っていると、

「あのォ、ホライさん……」

と、声をかけられました。振り返ると他の会の女のコが立っています。

「やあ、アンタたちも今日出発かァ」

「エエ、そうなんですけど。天気図の用紙、持ってみえませんか?」

私は、彼女の後にかたまっている連中に眼をやったあとで、やおら、

「オレたちは……コレだわ」

と言いながら、人差し指をペロリと舐めて、彼女の鼻先に突き出して見せました。思わず絶句して、あっけにとられた表情で、彼女は首をかしげています。

「ウチの会ナ、今度は天気図、とらんのよ。だからコレ。ネ、観天望気でいくの。悪いけど、持って来とらんのだワ」

 ずいぶん乱暴な話ではありましたが、東寺の私の考え方はこうでした(今でもあまり川っていませんが)。つまり、夏山で、本当に天気図をとらなければならないか? という疑問を持っていたわけです。ラジオの気象通報は、NHK第二放送が910分、16時、22時の散会、日本短波放送では1220分。この四回の時間帯は、登山者にとってはいかにも不合理です。夏山では、910分、1220分という時間は、最も行動に調子が出てきた頃ですし、16時というのは、幕営地に着いて、設営か食事の準備に忙しいし、22時なんて時間にはもうぐっすり。天気図をとり、確実に安全が保証されるのならともかく、わざわざ行動をストップして、天気図をとることだけが目的化されるとしたら、デメリットの方が大きいのでは、と思うワケです。これが、いったん入山したらなかなか逃げられないルートであるとか、台風が接近してきているとか、冬山ならば、当然その必要性はわかりますが、そうでなければ、むしろ雲行きを見て、次にどんな行動に移るか、どう対処するか、という判断力と、さまざまな変化に対応して生き抜く知恵を働かすことの方が大切なような気がするのです。

 こんなことを書くと、では、天気図などは不要か、と思われそうなので付け加えますと、書くだけでは意味がない、次にどんな天候に変化するのか、現在の天候がどれくらい持続するのか、を的確に予測して、どう行動するのかを判断できなければ意味がないこと、書くことで気休めにするようなら書かずに行動する方がマシじゃ、と言いたいワケです。

 私たちが普通“天気図”と呼んでいるのは「地上天気図」のことです。最近(といっても)1976年からですから、もう10年以上−当時−になりますが)「高層天気図」が私たちの手に入るようになりました。この天気図のおかげで、より正確に3000メートル級の山岳の天候をつかみやすくなったわけですが、まだまだ気象遭難と呼ばれる事故は後を断ちません。とりわけ冬山では、もっと登山者が活用する努力をする必要がありそうです。

 まあ、無雪期の日帰り程度の山行では、事前の天候の変化をつかみながら、天気予報に注意して行動することでカバーできると思っています(でも、油断大敵、ですヨ)。

 


空の実際を観察して天気を知る方法を「観天望気」という。観天望気の第一に雲を知ることがある。雲は、図のように10種類あり、種類と動きでもある程度天気を予測することができる。

絹層雲:太陽や月に「カサ」がかかり、空いっぱいに広がるのは、天気悪化の前ぶれ

高積雲:縁が丸みを帯び、盛んに広がろうとしている綿状もの。レンズ雲となって現れたとき、速く流れたときは、悪化の前兆

高層雲:西から暗灰色のこの雲が低いそうに現れてきたら、天気はまもなく崩れる

積乱雲:この雷雲が近づいてくると、風が強く吹き始め、大津美の雨、雷となる

 

 




●小型液晶テレビ

 ラジオの天気予報が今、山では唯一の情報源ですが、近頃は、ラジオと同じ大きさか、それ以上に小型軽量化された液晶テレビが出始めました。コレは使えそうです。天気予報で画面にうつしだされる気象衛星からの写真や天気図も鮮明に見ることができる、と何かに書かれているのを読んだことがあります。やがては、登山計画書の共同装備の中に、「ラジオ・天気図用紙」と書かれるかわりに「テレビ」と記入されるようになるかもしれません。時の流れは速くなっているとしみじみ思いますが……。でもまだ天気図を描かなければイケない時もあるなァ。それでも……矛盾に満ちとりますが……言ってしまおう。

 気休めなら書くなッ! 一生懸命、天気予報、聞けッ!

 

 

 この本を書いているときに予測したり、まだしばらくは遠い話だと思っていたことが、すぐに実現してしまって、小型液晶テレビなどはとっくの昔に過去のものになってし

まった。30年前には、気象庁の予報官の人から、「気象」講座などで話を聞いても、

「どうして天気予報はあたらないか」という話が中心だったが、現在では気象情報を

得る仕組みも、それらによって天候を予測する方法も驚くほど進歩し、ほぼ100%に

近い確率で正確な予報が出されるようになった。「気象予報士」の資格が定められたり、気象情報そのものがビジネスとなる時代、天気予報もテレビからパソコンの画面上で、四六時中検索が可能になった。しかも、PCだけではなく、携帯電話からもいつでも

検索・閲覧が可能になり、その範囲も山域によってピンポイントで気象がわかるよう

になってきている。計画書の装備欄には「テレビ」と書く時代がくる、と述べたが、

現在ではあたり前のように「携帯電話(連絡手段として。気象情報も副次的に得るこ

とができる)」と記載される時代になった。

 



D思いつき山行は迷惑

 

 ●ボクたちよくがんばった……?

 すこし前のことです。子どもたちを含めた十何名かのパーティーが、山の中で一夜を過ごし、新聞に大きく報道されたことがありました。登るのに時間を食い、その遅れを取り戻そうと、早く下山できる道を探していて夜になり、その場で夜明けを待った、といういわば遭難未遂なわけですが、新聞の紙面はそのことよりも、「暗かった」「寒かった」「でもボクたちがんばった」といった調子の、パーティーの中の「子どもたちの一夜」に焦点を当てた記事で大半が占められ、そのパーティーの責任に言及した記事はあまり見当たりませんでした。しかも、おとなたちのメンバーは、「リーダーを信頼してたので、あまり不安はありませんでした」と口を揃えて話している記事を見るにいたっては、少々ウソ寒い気分になったものです。気候もよく、天候もよかったので、少々寒く疲れた思いをしただけで事なきを得たものの、これで子どものうちの一人がどうにかなってしまっていたら、これだけでは決してすまないはずです。新聞に書かれていたことにひとつひとつ反対に質問を投げかけてやりたくなりました(あまり正確でないかも知れませんが、ひとつの例として、こう考えているヤツもいるんだ、ということがわかれば結構です)。

「暗かった」夜は暗いのがあたり前。個々に懐中電灯は持っていなかったのかナ? キャンドルは? 共同装備としてどうなの?

「寒かった」冷えるからねェ、山は。ン? 新聞紙を服の間に入れて。なるほど、いい考えネ。でもツェルト持ってたら、もっと暖かく過ごせたと思うのネ。リーダーは持ってなかったノ?

「がんばった」ボクたち、よくガマンしたネ。生きてて良かったネ。でも、オトナはどうしてたの? 動かない方がいいって、一緒にジッとしてた、フーン。あのネ、あそこはネ、キミたちが登ってきたルートが一番短いし、街にも近いんだヨ。時間がなくなって道探してて夜になってしまったっていうんだけど、時間がなかったら元来た道が一番早いのヨ。

 私たちだったら、夜でも下ってしまうルートなんですが。でも、登っている途中で、遅くなったから引き返す、っていう判断、つかなかったんでしょうかネ。時計もってたと思うんですがネ。子どもたちのこの体験は、果たして良かったのかどうか……。

 推測でモノを言うのはよくないんですが、少なくともリーダーは、あの山へ行った経験はあっても、山全体についてはよく知らなかった。基本的な装備が不足していた。メンバーはあなたまかせのハイキング気分。こうした油断が、子どもたちを巻き込んだ、と言っていいのでは、と思ったのです。

 危なくない山っていうのはないハズですが、相対的に危険の少ない山でも、登る側の力いかんでは、大きな危険をはらんでいます。

 

●ハイキングにも計画を

 よく“ハイキングだから……”とか、“そんな危ない所には行かないから……”といった言葉を聞きます。

 どうも、この“ハイキング”という言葉は多くの人に錯覚を与えているような気がします。同じ山に登るのに、片方は“山登り”で片方は“ハイキング”。それでいて”山登り“は

装備も食糧も含めて計画書をきちんと作り、一方は“ハイキング”だから、そんなにまでしなくても……とあいまいにする。こういった話は全くおかしいと思いませんか?

 私は、こうした言葉を平気で口にしたり、そう思っているヤツらが一番ヤバイ、と考えているのですが。

 家にいたってジェット機が落ちてくる時代ですから、“自分だけは絶対「安全」”だ、などとは思わない。まして、“山”という、何が出てくるか、何が起きるかわからない自然を相手にするのですから、「自分だけは」とか、「絶対に」とかいう「安全」を保障される根拠はどこにもありません。

 

●一人だけの気まま山行

 山へ入る前には、必ず計画を練り、計画書を作成するようにしましょう。

 コレは、個人であれ、任意の団体であれ、社会的生活を営む中で、自らの権利として文化として登山をしている以上、他の人に迷惑をかけたり、自分自身をはじめとして、仲間を危険にさらすことのないためにも、やらなければならないことのひとつです。

 突然、思いついて山に出かけ、そのまま何日も帰ってこない――こんな状況は、家族や周囲の人たちに大変な心配をかけることになります。

 いってた山がわかっていれば、まだ手の打ちようも、捜しようもあります。持参の装備や食糧の中身がわかれば、ギリギリのリミットも予測できます。

 いわば山行計画書は、自分の登山の準備を確認し、周りの人にも、こんな計画だから安心ですよ、万が一何かあった場合には……そこんとこヨロシク! という含みをもった安全弁なのです。

 しかし、計画書をただ作るだけでは意味がありません。それを受け取り、「気をつけて行ってコイ」と送り出してくれる仲間の存在が必要です。

 

●痛ましい事故、共通しているのは

 これは私たちがホームゲレンデにしている鈴鹿の山でのできごとですが、数年前の秋、「山へ行く」といって出たまま帰らなかった女の人が、数週間後に登山口からさほど遠くないところで半ば白骨化して発見され、その翌年もまた、同じ山で老夫婦が死体で発見されるという痛ましい事故がありました。

 この両方の事故で共通しているのは、亡くなったひとがみな山を始めたばかりで、しかもどこの山岳会にも属していなかったこと、無論、計画も誰にも知らされておらず、かろうじて山の名前だけが、前者は家族の口から、後者は日記からわかったということでした。

 夜になっても帰ってこないので家族が心配して届け出て、はじめて遭難だ、ということで捜しはじめたのですが、ルートが特定できず、しらみつぶしにその山域を捜すことを余儀なくされ、結局、当然のことながら発見はずっと後になってしまいました。

 その一方で、もうずっと前のことですが、私たちの仲間が同じく鈴鹿へ出かけたまま帰らなかったことがありました。翌日、連絡を受けた仲間たちが百名近くも集まり、事前に提出されていた計画書に基づいて捜した結果、数時間後には無事救出されたという例もあります。計画書を出して山へ登ること、仲間がいること、すべて前の例とは対照的です。

 ですから、どんな簡単そうに見える山でも、計画書は必ず作成し、仲間に渡しておきましょう。登山者は、ザックと一緒に危険をも背負って山に登っているのです。

 

 

E計画書のつくり方

 

計画書をつくる際の必要事項は、ざっと次のようなものです。

1. 山域 = どの山でどのルートを歩くか(山域全体の概要も含めてよく研究しておくこと)

2. 日程 = いつからいつまでの予定。予定コースタイム、宿泊場所等を明記すること。ルート図も忘れずに。とりわけ冬の場合、子ども連れの場合には、コースタイムは、余裕のあるものにすること

3. 参加者 = 山行での任務(たとえばリーダー、記録係、装備係、といったように)、住所、氏名、緊急連絡先、職場、血液型、生年月日など省略のないように。参加者が多いときにはいくつかのパーティーに分け、パーティーごとのリーダー、サブ・リーダーをはじめとした任務を決めること(全体を統括するチーフ・リーダーを選んでおくことも忘れないで)。

4.  安全対策 = エスケープルートや、万が一の行動予定、危険箇所の把握やその対応などについて。

5. 装備 = 個人・共同の各装備の一覧。共同装備の中に、必ず1パーティーにつき、一張の割合でツェルト、細引き(直径8mm×20m前後)を入れておくこと。

6. 食糧 = 何食分用意しているか。

7. 留守宅本部 = 出かけるときに、この計画書を託す人に、事前に了承を得て記入すること(下山予定時間を明らかにし、下山したら、その地点に最も近くの電話で下山連絡すること)。

 

 こうした点は最低限記入しておきましょう。また、計画書は一人につき最低二通、パーティーの分として余分に二通、作成してください。一人二通、というのは、それぞれの家と自分自身(装備のひとつとして持参)の分、パーティーの分として二通というのは、留守宅本部と、登山口へ提出するためのものです。この提出をして山に登るのは、登山者としての責任ですネ。

 計画書をつくるときからもう登山は始まっています(参加者が何十人という大きな計画の場合は、詳細な“しおり”などをつくるといいでしょう。これもまた楽しい作業です)。